問題の原因を「気持ち」にしてはならない

少し前に、テレビのバラエティ番組で、タレントが黒塗りメイクをしたことに対して「黒人差別ではないか」という声がありました。

私はそうした分野の専門家ではありませんし、この件に関してどのような考えが正しいといったことを論評する気もありません。

ただ、一つ気付いたことがあり、これはビジネスや社員育成でも共通なのではないか、と感じました。

この件について差別だと感じる人の意見の多くは

「このような『行為』をすることは差別だ」

と主張しています。

それに対して差別ではないと主張する意見の多くは

「このような行為に差別をする『意図』はないから差別ではない」

と述べています。

「行為をしたから差別だ」「いや、意図はないから差別ではない」

これでは意見が交わるはずがありません。

これもあくまでも私の主観ですが、日本は諸外国(特に欧米)に比べて、行為といった「事実」よりも「気持ち」に重点が置かれている気がします。

だから差別とは差別をする「気持ち」の問題であり、極論すればどんな行為をしてもそこに差別をする「気持ち」がなければ差別ではない…という結論になるのです。

欧米では「人の考え方はそれぞれである」という前提で物事が設定されています。だからマニュアルにも「床をモップで綺麗にしましょう」ではなく「洗剤液を2L用意し、モップをそれにつけて、3回絞り、床を2往復して拭きましょう」と具体的に指示がなされます。「綺麗にする」は人それぞれ基準が異なるからです。

裏を返せば、欧米では主観・気持ちという文字通り「気の持ちよう」で判断せず、「何をしたか、しないか」が判断基準になるのです。だから「気持ちがどうだろうが、黒塗りという行為自体がダメ」なのです。

一方、日本ではどちらかというと「気持ち」に主眼が置かれがちではないでしょうか。成果ではなく「あの人はがんばっているから良い・態度が悪いからダメ」などと言われがちです。失敗の原因も「やる気がない」「たるんでいる」などの精神論に置かれがちです。

社長を含め、社員全員が間違いなく同じ価値観・同じ気持ちであると断言できるなら、「気持ち」で社内をマネジメントすることも可能かもしれません。しかしそれは不特定多数の人が集まっている会社という場では難しいでしょう。

何か問題が起きたら「気持ち」という主観的なものではなく「行為」を見なければなりません。その行為が不適切だったら適切にする、行為を知らなかったら知らせる…と行為に焦点を当てます。そこで「お前がたるんでいるからダメなんだ」と気持ち論にしてしまっては、その問題は解決されません。

社員の「気持ち」ではなく「行為」を見ましょう。

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