あなたは減点主義になっていませんか?

減点主義になっていませんか

仕事柄、さまざまな商品やサービスを評価する場面がよくあります。経営戦略やプレゼン資料から実際の商品まで、対象はさまざまですが、その良し悪しを問われることも多いです。

そんな中で感じるのが、「減点主義」が世の中のスタンダードになっていないか、ということです。
多くの人が物事を語るとき、加点するのではなく、減点するかたちで評価しているのでは、と感じます。

「ここがダメ」は言いやすい

「これ、どう思う?」と聞かれて、「〇〇だからダメだよね」「△△が気になった」などの否定的な返事をする人が世の中には多いと感じます。
もちろんその指摘が的を射ていることも多いのですが、「ダメなところを指摘してあげなければ」と、「評価=ダメ出し」と決めつけていないか、と感じることすらあります。

逆に、「ここが面白い」「このアイデアはいい」と加点的に語る人は少ないように思います。
「好き」とか「良かった」という言葉は、どこか稚拙に聞こえてしまう、と避けてしまうのかもしれません。

私は加点主義(であると相対的に気づいた)

私自身は、周囲の人と比べると、どちらかといえば加点主義かもしれない、と最近気づきました。

前提として、すべてが100点満点のものなんて存在しません。

どんなに完成度の高い商品や企画でも、粗探しをすれば必ずどこかに「足りない部分」や「気になる点」は見つかります。
それより大切なのは「そのものが持つポテンシャルや魅力を適切に評価し、活かし、伸ばす」視点だと思います。

たとえば、あるサービスが少し使いづらくても、「コンセプトが新しい」「努力の跡が見える」と思えば、その良さをまず評価するようにしています。そして、気になった点は後で改善していけばよい、というのが基本的なスタンスです。

これは研修講師として指導するときも同様です。講師の指導は「まず褒める、その後でダメなところを改善点・向上点として指摘する」がセオリーです。人は、いきなりダメだしされると、仮にそれが事実でも意欲を失ってしまいます。そうではなく、「ここはよかった。そしてこの点はこうするともっとよくなる」という順番・言い方で指導するのが基本です。

なぜ、減点してしまうのか

なぜ私たちはつい減点で評価してしまうのでしょうか。

ひとつには、その方がラクだから、という理由があります。
何かを批判的に見るという行為は、深く考えなくても可能です。ちょっと目についたマイナス点を挙げるだけで、「ちゃんと見ている感」が出るような気がします。

もうひとつは、現代が「減点しやすい環境」になっているから、ではないでしょうか。

かつては、世の中にもっと「ダメなもの」が溢れ、身近でした。
このダメ、は「低水準」も「自分の好みに合わない」も、両方を含みます。

たとえば、昔のレンタルビデオや映画では、「なんとなく良さそう」で見始めた作品が「思ったよりイマイチ」なことがよくありました。でも、お金を払ってしまったからもったいない、せっかくだし、と最後まで観る。その結果、もちろん「やっぱりつまらない」こともあるのですが、後半はどんでん返しで面白かったり、「自分としてはよくわからなかったが、こういう作品もあるのか」と受け止めたりすることもありました。

ところが今は、サブスクの動画配信だと、つまらないと思った瞬間、すぐに再生停止してしまいます。その作品単体にお金を払っているわけではないので、「つまらない、じゃあ変えちゃえ」と視聴をやめるリスクが少ないのです。その手軽さゆえに、「自分に合わない=ダメ」と即判断してしまいがちです。

エコーチェンバー、「私にぴったり」が普通

もうひとつの要因として、「エコーチェンバー現象」も挙げられます。

ネットの世界では、自分の興味や価値観に合った情報ばかりが流れてきます。YouTubeやSNSでは、自分が好きな系統のコンテンツが次々とレコメンドされる仕組みになっています。

すると、自分の好みにぴったり合うものが普通になってしまい、少しでも合わない要素があると、すぐに「テンポが悪いからダメ」「地味だからつまらない」とマイナス評価をしてしまいがちです。

特に動画コンテンツにおいては顕著で、Youtubeのようなテンポの速い編集に慣れた人にとっては、映画の間が間延びと感じられてしまうようです。
しかし、本来の映像作品には間や余白が重要なはずで、それを「テンポが遅い=ダメ」として切り捨ててしまうのは、もったいないように思います。

このように「私にぴったり」が普通になったことで、モノやサービスの評価にも影響を与えているように思います。
「自分にとって気に入らない=そのものが劣っている」と無意識に考えてしまっていないでしょうか。

すべてが60点だと魅力はない

いまの世の中、多くのものが「それなりに良い」水準に達しています。
だからこそ、少しでも気になる点があるとそれが目立ってしまい、「ちょっと残念=全体がダメ」という短絡的な判断をしてしまいがちです。

でも、本当に価値のあるものは、必ずしも整っているとは限りません。むしろ、いびつだったり、不完全だったりするからこそ、印象に残るし、心に引っかかるのではないでしょうか。

私の関わった商品でも「商品開発をするにあたり、モニターのお客さんの不満を聞いて商品を改良して完成させた。なのに全然売れなかった」という経験があります。「不満がない」と「満足をする、買いたい」はまったく別物です。ダメなところを直してもそれは30点が60点になるだけで、魅力的になるわけではないのです。

だからこそ、安易にダメ出しする前に、「これのどこがいいのか?」とプラスの視点を持つほうが大切だと思います。

加点主義を習慣にする

日常の中で、モノでも人でも、減点する前に「よいところ探し」をしてみてはどうでしょうか。

私たちは今、とても「失敗の少ない」世界に生きている、と感じます。ちょっとしたズレや違和感ですら「失敗、よくない、マイナス」として排除してしまいがちです。しかしそれは全体の100のうちの1にすぎず、99の「よいところ」を捨ててしまっているかもしれません。もっとおおらかに加点で考えてみてはいかがでしょうか。

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