育児に関する雑誌に、「専門家」の方のこんな意見が載っていました。(抜粋)
「(幼児にお金をどう学ばせるか、という質問に対して)お手伝いをしたらおこづかいをあげる、というやり方は日本の文化ではふさわしくないでしょう。」
私はこの意見に違和感を覚えました。
1)日本の文化とは?
この専門家が考える日本の文化、とは何なのでしょう。
確かに「子供に労働の対価にお金をあげる」という育て方は、日本は欧米よりは少ないような気がします。
アメリカではよく、小さい子供がレモネードを売っておこづかいを稼いたりする、といった場面が映画などにもありますよね。
では、そのような労働に対するおこづかい制が「日本の文化」に「ふさわしくない」のでしょうか?
この方は研究者であり、そのようなデータが何かあるのかもしれません。しかし「日本の文化」という抽象的な表現を使うと、
「それって、日本の文化ではなく、あなたの周囲の文化、もしくはあなたにとって『こうであってほしい』という文化なのでは?」
と考えてしまいます。
2)日本の文化とそれを取り入れるかどうかの判断は別では?
仮に百歩譲って、お手伝いにおこづかいを渡すのが「日本の文化」に「ふさわしくない」としましょう。
しかし、育児やしつけという問題を「文化」でくくってしまっていいのでしょうか?
「文化」はある意味便利で、ある意味危険な言葉です。
「この会社は、残業してもタイムカードに残さない文化だから」
「上の人の命令には黙って従うのが日本の文化だから」
などのように、悪しき風潮も「文化」になります。
大事なのは「日本の文化にふさわしいかどうか」ではなく「我が家にとって、我が子にとってふさわしいか」ではないでしょうか。
商売でも当たり前を疑う
これはあくまでも子育ての例ですが、商売にも同じことは当てはまります。
「◯◯するのがウチの業界の慣習だから」
「お客さんは××を買って、△△は買わないのが当たり前だから」
そんな風に決めつけていることはないでしょうか?
一見「当たり前の常識」に思えることこそ、「それって本当?」と考える姿勢はどんな商売でも重要です。
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