女性についての企業のメッセージで物議を醸す、いわゆる”炎上”した案件が最近だけでも複数ありました。
トヨタ「女性やっぱり運転苦手?」 ツイートに批判殺到
https://www.asahi.com/articles/ASM31560WM31OIPE01M.html
「働く女は、結局中身、オスである」 小学館の女性誌広告に批判、識者「時代遅れ」
https://www.j-cast.com/2019/03/02351698.html
※私は「炎上」という表現は、定義があいまいな上に、深刻な問題もごく一部の人が大騒ぎしただけのことも十把ひとからげにしてしまうため、好きな表現ではないのですが、わかりやすくするために今回は用いています。
私も仕事で女性向けの文章を書いていたことがあるだけに、
「どうしてこの表現が批判されそうだと気付かなかったのだろうか?」
と、率直なところ思ってしまいました。
わざと炎上させて話題を巻き起こそう、などではなく、これらの表現をなんとも思わない人が文章を考えているのだと思われます。
確かに「中の人」として仕事でずっと関わっていると、それを見る/読む「普通の人」の感覚を忘れがちになる、という心理状態は確かにわかります。
しかし、個人の感覚的なことならいざ知らず、ことばというアウトプットでこのような表現を用いてしまうのは、やはりどこか大事な部分が欠落していると言わざるを得ません。
特に上記二つは、
「そうは言っても、”やっぱり”女性は運転が苦手な人が多いでしょう?」
「そうは言っても、結局のところ、女は”オスの中身”になって働かないといけないよね?」
という”共感”を得たかったのかもしれません。
だから、実は声を上げずとも、「うんうん、確かに運転は苦手」「そうそう、男モードじゃないと仕事なんてできない」とだけ受け取って共感する人もいるの”かも”しれません。
しかし、広告は幅広い人が見るものであり、「それってひどい決めつけじゃない?」という反応をしまう今回の案件はアウトでしょう。
そもそも、広告は「人の気持ちを変えるもの」です。人の気持ちを揺さぶらなければ意味はありません。
そのとき、100%好意のみで受け止められる広告というのは、100%好かれる人と同じく不可能です。
スルーされるくらいだったら、「ひっかかり」や「トゲ」を心に残したい。
だから、「9割に嫌われても、1割に好かれればいい」という発想になる気持ちもわかります。
実際、商品開発などではそのように考えることもあります。
しかし、商品開発と異なるのは、商品は気に入らなければそれを買わなければそれで終わりますが、広告は心を動かすことそれ自体が目的であること。
だから、不快な商品はスルーできても、不快な広告は不快な方向に心を動かされ、スルーできないのです。
トヨタのような大企業でさえ、このようなミスをしてしまいます。
ことばの扱いひとつで、プラスにもマイナスにも大きく変わります。
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