人はなぜソーシャルメディアで他人を非難するのか

テーマはタイトルの通りです。

Facebook、Twitter、Instagramなどのソーシャルメディア*、あなたは活用しているでしょうか。

*日本ではSNSと呼ぶことが多いですが和製英語なのでかっこつけてソーシャルメディアとします

そこでよく言われるのは

「昔のソーシャルメディアは牧歌的でほのぼのしていたのに、最近は攻撃的だ」

というもの。

もちろん感覚的なものに過ぎないのですが、言いたいことはわかります。

そのような潮目が感じられたのは、特にいわゆる「バイトテロ」「バカッター」が話題になり始めたころでしょうか。

アルバイト店員が冷蔵庫に横たわる、魚をゴミ箱に入れてから戻す、などの動画をツイッターにアップし、いわゆる「炎上」しました。
(この炎上という表現もあいまいかつ恣意的に使われがちなため、あまり好きではないのですが。)

そこから、ソーシャルメディアでは「相手を非難・批判する」つまり誰かを「叩く」ために投稿されることが多いような気がします。たとえば…

・政治家の不祥事、問題発言
・企業の不祥事
・不倫などをした芸能人
・いわゆる「世間に迷惑をかけた」一般人

他にも、ソーシャルメディア内で意見の違いから非難や批判の応酬をしあっている人たちもいます。

なぜソーシャルメディアは「ほめる」「たたえる」などのポジティブな行動よりも、「けなす」「攻撃する」などのネガティブな行動が多いのでしょか。

私は「人間の本能だから」と考えます。

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人類が狩猟で生きていた頃のことです。

村の男Aが獲物を仕留めます。

すると村の人々はAをほめたたえます。「やった!」「ありがとう!」「次も頼むぞ!」

Aはうれしくなります。

ではAはその後、獲物を仕留める確率が上がるでしょうか?

おそらく上がりません。

獲物を仕留めてほめられる、それ自体はうれしくて喜ばしいことなのですが、それだけでAが次に獲物を得られる確率、それ自体が高まるわけではありません。

つまり、褒められたからといって、生物としての生存の確率が上がるわけではありません。

一方、村の男Bは毒キノコを食べようとしました。

すると村の物知りはBを注意します。「何やってるんだバカ野郎!それ食ったら死ぬぞ!」

そのおかげでBは死なずにすみました。

他にも「うっかり熊のなわばりに入り込む」など、死に直結する行為に対して「バカ野郎そんなことするな!」とBを注意します。

それによってBは生き延びる、すなわち生存の確率があがりました。

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おわかりでしょうか。

「ほめる、たたえる」行為は人類が生き延びることに直結しません。

「責める、非難する」行為は人類が生き延びることに直結します。

だから人の脳には「責める、非難することは大事で意味がある」とプログラミングされ、非難すると脳に快楽物質が流れるようになりました。

その本能が今日まで続き、ソーシャルメディアでは誰かを攻撃することに「快」を感じてしまうのです。

…という仮説ですが、いかがでしょうか(笑)。

なんとなく直感として「相手の間違いを正したり、正しい方向に導く行為はキモチイイ」のはわかりますよね。

相手の上に立っているような気分になることができるので。

私も研修講師やコンサルタントとして、他者を「指導」や「指示」する立場に立つことが多いので、そう思い上がらないように気をつけています。

ソーシャルメディアで非難の応酬になったり、あるいは他人をバッシングしたりしたくなるのは「生き延びるための人類の本能」と考えるとしっくりくるように思います。

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