“普通”を決めつけると、発想が狭くなる

無意識に“普通”を押し付けていませんか?

お笑い芸人のアイクぬわら氏(ニューヨーク出身、シアトル育ち))がYouTubeでこんなことを話していました。

「僕がTシャツとか薄着だと、日本人はすぐに『寒くない?』と聞いてくる。でも、寒さの感じ方は人それぞれだし、僕が寒いかどうかはあなたに関係ないし、どうでもよくない?アメリカ人だったらそんなこと言わないよ」

もちろんこのエピソードだけで「日本人はこう、アメリカ人はこう」と一概に言い切れるものではありません。
しかしこれを聞き、
「たしかに日本は『普通』や『当たり前』を決めつけたり押し付けたりする傾向があるのでは」
と思いました。

“普通”であることの枠組み

日本では「普通はこうするべき」という共通認識がある、と感じる場面が多くあります。たとえば
「気温に合った服装はこれであり、それを着るのが当たり前」
「一般的な行動規範がこれ、それをしない人はおかしい」
といったことです。
そして、その“普通”から少しでも外れると、何か事情があるのかと思われたり、驚かれたりすることもあります。

もちろん、これは人が集団の一員として秩序を保ちたいからこそ起きる、とも言えるので、すべてが悪だと否定するわけではありません。

無意識の枠をちょっと見直してみる

私たちは知らず知らずのうちに、「普通はこう」と無意識に基準を作ってしまします。
そして、その基準をもとに他人の行動を評価したり、「自分だったらこうするのに」と考えたりしてしまいます。

何気ない「寒くない?」という問いかけは、親切心からの一言です。
しかし、聞かれる側からすると、「寒いのに適切な服装をしていないあなたはおかしい」と言われたように感じるかもしれません。「なんで気にするの?私の問題であなたには関係ないのに」と驚く場合も前述のようにあることでしょう。
小さな文化の違いや価値観の違いから生まれた相違、と言えますが、普段なかなか気づくことはありません。

ビジネスの中でも見られる“普通”

ビジネスの場でも、「普通はこうだから」という考えが意思決定に影響を与えることがあります。これが、柔軟な発想や新しい取り組みを阻むことがあります。

「普通はホテルに泊まる」だったらAirBnBは生まれなかったでしょうし、
「普通は専門ドライバーがタクシーを運転する」だったらUBERは生まれなかったことでしょう。

会議の進行方法や働き方についても、「これが標準的」と思われる方法に縛られると、多様なアプローチが生まれにくいかもしれません。
無意識に自分の“普通”を押し付けていないか、時々立ち止まって考えるのも良いかもしれません。

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