なぜ、警官の銃発砲のニュースに警官擁護のコメントが殺到するのか?~人には「脳のクセ」がある~

1.警察官は適正!…だけでよい?

先日、こんなニュースがありました。

警官が刃物男に発砲、搬送先で死亡 警告や威嚇射撃応じず 大阪・河内長野市のスーパー前
https://news.yahoo.co.jp/articles/fdf0fa54ae4ced6fa857ffbcd03f9cc9199f83f1

報道によれば、警察官は「刃物を捨てろ」と警告し、空へ向けて威嚇射撃を行ったものの、男がそのまま向かってきたため発砲に至ったとのことです。

こうしたニュースに対するネットの反応は、
「警察官の行為は適切だ」
「撃って当然だ」

といった、警察側を擁護・肯定する意見が圧倒的多数を占めているように感じます。

もちろん、現場の安全確保という点では、警察官の行為は妥当だろうと納得できる部分も多くあります。

しかし、その一方で、警察というある意味「強大な権力」が銃を行使することに伴うリスクはどうでしょうか。
たとえば誤射や過剰な権力行使、あるいは誤認による冤罪の可能性、といった点は、ネットで警察を擁護する人たちは特に考慮していないように思えます。
「悪いのは犯人!警察は自分の身を守り、市民を暴漢から守るために銃の行使は当然!」
という意見ばかりが目立ちます。

ここまで読んで「こいつは銃を撃った警官を非難するのか!凶悪犯の味方か!○翼か!」と思ったかもしれませんが、もう少しお付き合いください。

「なぜ多くの人は、このような事件に触れると、権力側を擁護したくなるのか」を考えることは、人間の「脳のクセ」を知るうえでとても大切なポイントです。
そしてこの「脳のクセ」を自覚することはビジネスにも役立ちます。

2.私たちは物事を単純化して考える

「多くの人が警察を擁護するのは、正義を信じ、悪を憎んでいるからだ」
などと単純化してよいのでしょうか。
実際にはもう少し複雑です。
人間なら誰もが持っている「脳のクセ」が深く関係しているからです。

人は目の前で起きている出来事を理解しようとするとき、無意識のうちに情報の複雑さをそぎ落とし、扱いやすい形に単純化しようとします。
これは脳の疲労を防ぎ、素早く判断を下すための本能的な仕組みです。
これがものの見方に大きな偏りを生み出します。

今回の件では、たとえば以下のような心理メカニズムが複合的に作用しています。

利用可能性ヒューリスティック

私たちはこの事件に関連し、過去に見た無差別殺傷事件の悲惨な映像や強い記憶を瞬時に思い出します。
その結果、「撃たなかった場合の大惨事」ばかりがリアリティを持って頭に浮かびます。
「もし誤射だったら」「もし権力が暴走したら」といった、めったに出会わない、あるいは想像しづらいリスクは、心理的に小さく見積もられてしまいます。

公正世界仮説

「悪いことをした者には悪い報いがある」という世界観を、私たちは無意識に求めてしまいます。
そうでなければ、「正しい」私たちは安心して暮らせない、と思うからです。
「犯人は刃物を持って警察に向かっていった=正義に背く行為をした」という事実について、「だから、撃たれて当然だ」と結論を一気に飛躍させてしまいます。

他にも…

結果論(アウトカム・バイアス)

「怪我人が出なかった」という結果から「だから発砲判断のプロセスも正しかった」と思い込んでしまう

楽観的なバイアス

「自分は犯罪者じゃないから権力が強くなっても害はない」と考えてしまう

さらに、ネット特有の「短く強い言葉ほど拡散しやすい」という構造もあり、私たちの思考は知らず知らずのうちに、極端で分かりやすい一方向へと流されていくのです。

3.現実はたいてい、白黒つけられない

現実の出来事は、ネットのコメント欄のように「警察が全面正義か、それとも全面的に悪か」といった二項対立で割り切れるものではありません。

本来、警察官や市民の生命を守るための「適法な実力行使」と、その行使が適切だったかを検証して「過剰な権力行使を防ぐ仕組み」は、どちらか一方を選ぶものではありません。
民主的な社会においては、同時に成り立たせなければならない二つの価値です。

しかし、人間の脳はこうした「複数の価値が同時に存在し、ひとつに選べない状態」を維持するのが苦手です。
モヤモヤした状態に耐えられず、どちらか分かりやすい極論に飛びつき、スッキリしたくなってしまうのが脳のクセです。

このような「単純化への誘惑」に負けてしまい、「警察は正義、犯人は悪。だから犯人の命なんて知ったこっちゃない」と、物事の裏側にあるリスクを見なくなってしまうのです。

4.ビジネスにおける「脳のクセ」

この「脳のクセによる単純化」は、事件のニュースに限りません。
ビジネスの世界においても、同様の単純化を日常的にしてしまっているものです。

たとえば、以下のようなケースです。
・プロジェクトが成功した理由を「担当者の情熱と頑張りがあったからだ」という一つの要素だけに決めつけてしまう
・トラブルが起きた際に「チェック体制が甘かったからだ」と表面的な結果だけを見て判断を下してしまう

あるいは、
新しい施策を検討する際、「競合他社もやっているから絶対に正しいはず!」という分かりやすいシナリオに飛びついてしまう。
それにより、自社のリソースや潜在的な撤退リスクといった、目立ちにくい情報を無視してしまう…
なんてことも同じ心理的メカニズムと言えます。

一度「これが原因だ」「これが正解だ」と思い込むと、脳はその仮説を補強する情報ばかりを集め、都合の悪いリスクや異論を無意識に排除します。
その結果、組織として適切な意思決定ができず、思いもよらない落とし穴にはまってしまう、なんてことがあります。

5.よい意思決定のためには「一拍置く」

そんなことにならないためには、
「自分の脳には単純化したがるクセがある」
という事実を深く自覚しておく
必要があります。

直感的に弾き出した「分かりやすい答え」や「心地よい結論」が頭に浮かんだときほど、あえて一拍置き、立ち止まりましょう。

「本当に、見えている情報だけで全てを語れるだろうか?」
「裏に隠れている、別のリスクや前提はないだろうか?」
「全く逆の立場からこの状況を見たら、どう見えるだろうか?」

このように問いを立て、多角的な視点を持ち続ける粘り強さがビジネスには欠かせません。

「警察官の発砲は適正!悪いやつは取り締まれ!正義は勝つ!」

本当にそれだけでよいのでしょうか。

情報が過剰で変化のスピードが早い今だからこそ、分かりやすい極論に乗っかるのではなく、複雑な現実を複雑なまま観察することが必要です。

「安易な単純化をしない」姿勢が、ビジネスにおいては欠かせません。

 

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