「なんとなく良いこと」で満足していませんか?

なぜベルマークは続くのか

売上が少ない、求人が集まらない…

こんなときは「なぜ」なのか、原因を探ります。

そしてその原因に応じた対処をします。適切な解決法をとって「行動」するのです。

そのとき、つい一般的・常識的に「良いこと」をして、満足してしまうことがあります。

本当はその行動が適切な原因の解決になっているかを考える必要があるのに、「良いこと」なので反対しづらいし、その行動自体が目的になってしまうのです。

たとえばPTA活動の多く、特にベルマーク収集が問題になることがあります。

平日昼間に人を集めて、ベルマークを分類して整理して、それで数百円~数千円の成果になる…

これでは、

「それくらいならこんな面倒なことはやめて寄付でもした方がマシ!」

そのような声が続出するのも無理がありません。
(ベルマークの制度自体、専業主婦の労働力をタダで使うことが前提ですよね…)

しかしそれでもベルマークがなくならないのは、ベルマークを集めて備品を購入したり、寄付をしたりすることが、世間一般的に見て「良いこと」だからです。

「良いこと」に対して、それはおかしいと異議を唱えることははばかられますし、白い目で見られかねません。

だから「良いこと」をタテに、非効率な制度などが継続してしまうのです。

良いこと=効果があること、とは限らない

これは会社などのビジネスも同じです。

たとえば「営業は業績UPのために、商品知識の勉強会をしよう」などと声を上げて開始することがあります。

商品知識の勉強会をする、これもまさに一般的には「良いこと」です。

しかし、その会社や営業スタッフは、本当に「商品知識がないから、売れない」のでしょうか?

勉強会をして「商品知識を身につければ、売れる」のでしょうか?

たとえば、そもそも営業として訪問する先がターゲットとして間違っている…のであれば、いくら商品知識をブラッシュアップしても売れるわけがありません。

でも、ここで「いや、その勉強会はムダだ」とはなかなか言いづらいですよね。勉強会自体は「良いこと」ですから。

がんばる・努力する からその先へ

特に私がコンサルティングやワークショップなどで「~の原因と対策を考えてください」とお願いすると、決まって出てくるのがそのような

「一般的には良いことだが、効果が未知数なこと」です。

私達は小さい頃から「がんばる」「努力する」などの行為を褒められてきました。

だから「何のためか」「なぜそれが最適と言えるのか」をスキップして、何かをがんばる・努力することを目標にしてしまうんですね。

方向が正しくない頑張りや努力はムダに終わってしまいます。

「良いこと」が思いついたら、「一般論ではなく、それで本当に成果が生まれるのか?」と立ち止まって考えることが必要です。

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