他人に影響を与えたい人
Youtubeやソーシャルメディアで過激な言動をして、
サラリーマンはダサいから独立しろと煽り、
古い経済ではなくて新しい経済をと旗を掲げ、
だから私の本を買ってサロンに入れと囲い込もうとする…
最近よくいますよね、こういう人たち。名前は出しませんが。
ある人が、こういう人たちをまとめて「他人に影響を与えたい人」と呼んでいました。
彼ら彼女ら自身は革命家や最先端の生き方のつもりかもしれませんが、では10年後にも残る何かを生み出しているかというと???です。
そういった意味では、「他人に影響を与えたい人」という言い方はまさに言い得て妙です。
自分で何かを生み出すのではなく、「他人に影響を与える」ことがゴールになってしまっているのです。
しかしこれは裏返せば、「他人に影響を与える」ことは人間にとって非常に魅力的な、抗いがたい欲求であり、快感であると言えるでしょう。
もっとシンプルに
「他人を思い通りに動かす」「他人が自分のために動いてくれる」
ことへの欲求、と言ってもいいかもしれません。
スタバで感じた快感
先日、私はスターバックスに行きました。
一度、スターバックス リザーブを飲んでみたかったからです。
これは、特別なコーヒー豆を、特別なクローバーというマシンを使い、1杯ずつ抽出してくれるサービスです。
700円くらいするので普段は頼みませんが、たまにはいいか、と注文しました。
すると、そのスターバックス リザーブを注文した人だけが座れる席に通されます。
(といっても普通のカウンター席なのですが。)
そして店員さんと1対1で、私の好みを聞いたり、コーヒー豆についての話をしてもらったりしながら、コーヒーが抽出されます。
普通、スターバックスはファストフードのように注文して商品を受け取るだけなので(たまに一言くらい話しかけられることはあります)、このように1対1で接客をしてくれるととても特別感があります。
出てきたコーヒーは正直そこまで感激するほどの味ではなかったのですが(笑)、プラス300円くらいで自分を「特別扱い」してくれることは非常に気持ちがいいものでした。普段は商品を作って出すだけの人が自分をもてなしてくれたように感じ、「自分のために動いてくれた」と”快感”でした。
300円程度の差ですが、改めて「他人が自分のために動いてくれる」ことは非常に魅力的であり、だからこそ気をつけないといけない、と感じました。
たとえば私が子供を叱るときも、語弊があるかもしれませんがこのような「快感」が出かけているときがあります。
子供は悪いことをして、100%非があります。私には100%非がありません。だから自分が絶対正しく、子供を「言い聞かせられる」、悪く言えば「屈服させる」ことがやろうと思えばできます。常識の範囲内で罰を与えることもできます。これも「他人を思い通りに動かす」ことと同じです。
そのため子供を怒ったり叱ったりするときは、自分の快感のためにしていないか気をつけるようにしています。
社員や部下を思い通りに動かす快楽に気づいていますか
これは、経営者や上司にも同じことが言えます。
社員や部下を指導・注意するとき、自分は絶対的地位があります。
社員・部下が反論することはありません。何なら人事評価を下げたり左遷したりする権利も自分にはあります。
そうなると社員・部下を「思い通りに」動かせる快感に抵抗することは難しくなります。
そしてそれが行き過ぎると、社員・部下を自分の家来のように扱ってしまったり、反対に社員・部下も反論しないイエスマンになってしまったりと、弊害だらけになります。
「他人に影響を与える」「他人を思い通りに動かす」「他人が自分のために動いてくれる」
これらは、金銭欲などよりもタチの悪い人間の欲求であり、快楽です。
「今、自分は他人を思い通りに動かそうとしていないかな?」
とこまめに気をつけなければなりません。
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