「雨天中止」を論理的に考えると…

突然ですが、問題です。

「運動会は雨天の場合、中止です。」

このとき、天気が晴れだったら運動会は開催されるでしょうか?

論理的に答えてください。

答えは「開催されるか、されないかは、わからない」です。

「何を言っているんだ、晴れなんだから実施するに決まっているだろう」

と思いませんか。

しかしこの一文は、論理で考えれば「雨天の場合、中止する」と言っているだけで、「晴れた場合、どうするか」はまったく言及していません。

だからこの一文で触れていない「晴天のときどうするか」は論理的には「わからない」が答えです。

ある人が「肉が好きです」と言ったからって、魚が嫌いとは限らないですよね。それと同じです。

と説明されて、「なるほどそうだな」と納得する人は少数でしょう(笑)。

多くの人が「うーん、普通は雨天中止って、晴れなら実施の裏返しであって、わざわざそんなこと言わないよ」と思うのではないでしょうか。

このあたりにコミュニケーションの難しさがあります。

・私たちの言動は論理的ではない。

そして

・論理的に正しいからといって、言動が(社会的に)正しいとは限らない。

このあたりが「ロジカル・論理的なだけではダメ」と言われる難しさがあります。

たとえばあなたが会議の前に、部下に「ペットボトルのお茶を人数分、下の売店で買ってきて」と依頼したとします。

その後、部下が手ぶらで帰ってきて「すみません、売店にお茶は売っていませんでした」と言ったらどうでしょう。

9割以上の人が「いや、そこは気を利かせて水でもコーヒーでも買ってきてよ!」「だったら別の店に行って探してきなよ!」と思うのではないでしょうか。

でもこの部下は「論理的には」上司の指示を忠実にこなしたわけです。

これを、上司の指示が悪いか、部下が気が利かないか、どちらと見るかは意見がそれぞれあると思います。

ひとつ気に留めておかないといけないのは、このようなコミュニケーションミスは絶対に発生しうるということ。

部下に「気が利かない」「状況を考えればわかるだろう」と注意する前に、自分の指示は適切だったか?と考える余裕を持ちたいものです。

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