「反対意見を言うなら、対案を示せ」
よく言われますし、これがビジネスの世界では「常識」であり「マナー」であるかのように言われます。
しかし私は、これは必ずしも正しくないと考えます。
それは以下の2つの理由からです。
理由1 萎縮して他の意見が出にくくなってしまうから
「反対とまでいかないけど、なんとなくこっちの方がいいと思う」も一つの意見です。
それを「反対するならより良い案を出せ」と言い切ってしまうと、「こっちの方が絶対により良いとまでは言えないよな、うまく話せないし…」と対案が出にくくなります。
案や意見は必ずしも白か黒、ゼロかイチといったものではないので、どちらが良いかといった対立概念だけだと行き詰まってしまいます。
理由2 「それはイヤだ」「ダメだと思う」自体が立派な意見であるから
極論ですが、あなたを包丁で刺そうとする人がいて、「やめろ!」と制止したら「じゃあ対案を出せ!」と言われたら…?
包丁で指す行為に対案は必要ないですよね。イヤだ、ダメだ、でよいわけです。
これは極端な例ですが、「イヤだ、ダメだ」も立派な意見です。
もちろんそればかりでは単なるワガママなので、「否定するだけでなく対案を出せ」と言いたくなる気持ちもわかります。
しかし「対案がなければ、否定してはいけない」とすると、明らかにダメな意見でも「対案がないから反対できない」と通ってしまう恐れがあります。
反対するなら対案を出せ、は当然なのですが、話し合いや打ち合わせは勝った・負けたのディベートではありません。
イヤなものはイヤと言える、その雰囲気作りの方が大事であると考えます。
コメント