違い=誤りではなく、違いを楽しむ

子供と図形などを描いて遊んでいたときのことです。

私は直角三角形を書きました。

子供は三角形というと正三角形や二等辺三角形しか知らないようで、長方形を斜めに切ったような直角三角形を見て、

「変なの~」

と言いました。

私はそれに対して、軽く怒りました。

「パパが描いた三角形は、変じゃないよ。他の人がしたことをヘンって言うのはよくないことだよ。自分が知らないからって、それをヘンって決めつけちゃダメだよ。(子供の名前)も、自分が描いたのをヘンって言われたら悲しいでしょ?」

もちろん子供の何気ない一言であって怒るほどではない、と思うかもしれません。

しかし私たちは子供の発言のように、無意識のうちに

自分が理解できないもの、自分の常識の外にあるもの = 変なもの = 誤り、間違い

と決めつけていないでしょうか。

日本語の「違う」には二つの意味があります。

1)異なっている 例、みかんとりんごは栄養が違う

2)誤っている 例、このネジにこのドライバーは違う、このテストの答えは違う

こうして私たちは「違う」ことについて、無意識に

異なっている = 誤っている

と決めつけていないでしょうか。

異なっているものに対して「それは違う(間違っている)」「変だ、おかしい」ではなく

「なるほど、そういう違いもあるのか」「(思っていたのと違って)面白い」

と思う感覚を持ちたいものです。

極端な例かもしれませんが、「違い」を「誤り」とみなすことは、

外国人・異なる民族は私たち日本人と「違う」から差別・区別してもいい…

LGBTなど少数派は、我々多数派と「違う」から差別・区別してもいい…

という発想につながっていくように思います。

我々大人が、子供に対して

違ってもいいんだ、違うことは誤りではないんだ

と伝えることが大事なのではないでしょうか。

代表・幸本陽平 プロフィール

幸本 陽平
幸本 陽平
化粧品デパートのマーケティング業務に携わり、その後独立。
研修や執筆、マーケティングをわかりやすく伝えるための活動などに取り組む。

(株)東風社代表取締役 中小企業診断士 一橋大学卒
広島市在住、新潟県長岡市出身

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